”かごめかごめ”と赦しの解釈
最近、自分の中で、空間認識の理解のもと「後ろ」というものが話題に上がったなとき、思い浮かんだのが”かごめかごめ”の「後ろの正面」というフレーズでした。
”かごめかごめ”などの昔から言い伝えられている唄は、オカルト的なところやスピリチュアル界隈でも、色々な解釈や意味が謳われていますが、私もふと、コースの赦しとの関連的解釈が浮かんだのでちょっと遊び感覚で書いてみます。
※以下、あくまで個人的な解釈です。<注:黒字=歌詞 黄字=解釈 青字=補足解説>
かごめかごめ
かごめかごめカゴの中の鳥は
牢獄に囚われたものは
自我の罪と裁きの夢の中に埋没している私たちのこと
いついつでやる
いつ出られるのだろうか?
いつ目覚めるのだろうか?
夜明けの晩に
始まりと終わりの瞬間=奇跡の瞬間
原初の瞬間と聖なる瞬間の真の原因のあるところ=決断の主体
鶴と亀が統べった
自我と聖霊が統合した
自我を赦して一つになった =分離の訂正・自我の取り消し・奇跡
後ろの正面だあれ?
見るものであり、見られているものとは誰か?
・見るもの 主体
聖霊を選び直した決断の主体=神の子
・見られるもの 客体
神の反映、愛の反映の象徴であるキリストの顔
どちらも自分だとわかっている、自分は誰なのかを思い出した神の子=目覚め
また、
後ろの正面とは、内と外が反転した世界であり、それは見えているもの全てが自分であるとわかっていて、しかもそれはキリスト(神の愛の反映に見えている)のワンネスの反映であり、それは実相世界を表しているとも言える。
そして、そこで完全に神を思い出したなら、完全なるワンネスへと溶け入っていくのだろうか。
こうやってみると、昔も今も、結局は同じようなことを言っているんだな〜と感じます。
それは、やはり真理は普遍的なものなんだろうということですね。
ということで、コース形而上学の理解がないとなかなか難しいかもしれませんが、私の勝手な解釈にお付き合いいただきありがとうございました。
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