私たちは、天国の対局を体験したくて世界や肉体という幻想を作り出しました。
そしてそれを信じることにより、この今も天国の対局を体験することができています。
夢の中でなら、完全無欠の愛である全一の神の子が、不完全で脆弱で欠乏した惨めで孤独な存在として全てを失うことができる。「死」(苦痛・苦しみ)を体験することができるのです。
しかし、それが全て妄想の夢の中のものであり、リアルに体験することなどできないんだと悟るなら、この茶番の夢を見続けようと思うでしょうか?
なーんだ所詮夢か。。。
このようなあり得ない妄想は、夢の中での疑似体験でしかないんだーとわかるなら、そのリアリティーのなさゆえ、だんだんと飽きてくるのは確実なことでしょう。
そうやって、夢に飽きてくることにより、もう2度と夢を信じなくなる=信じられなくなる、のです。
夢を夢だとわかるなら、、、
私たちはどうするでしょうか?
だからこそ、ここが自我がなんとしてでも隠し続けておきたいところなのです。
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