※この記事は、「ACIMノンデュアリティアカデミー」のフォーラムで上がった「お題・テーマ」をもとに私なりの学びと経験からのシェアをアンサー的に書いています。
私も、「何のために学んでいるのか?」「何のために見るのか?」という学びのゴールの目的を常に見失わないように心がけています。
そうでないと、自我は都合のいいように個人の利益のため(分離を強化するため)に学ぼうとするからです。(悪いわけではない、自我はそういうもの)
それは、99%聖霊でも1%自我であれば全てが自我なので、この1%をうまく隠し持つことで自我や個人の特別性は保持し続けられるからです。
なので、丸ごと明け渡すことの重要性を認識するには、明確な目的の認識がないと無理なので、目的の認識は必須だと思っています。
また、常に、「何のためのものか?」=この世界や肉体、状況をどちらの目的で使うか?、「自我の目的か、聖霊の目的か?」の目的の認識を心がけ、この世界や肉体や状況のすべてを教室として、赦しのレッスンとしていくことも意識&練習しています。
あと、もう一つは時間の概念です。
赦しがうまくいかない時や、自我からなかなか抜け出せない時、今にいないことに気づきます。
そういう時は、大抵時間の中に埋没し、ぐるぐると思考を回しているのです。
この、今・時空の外の今・今ここ、の時間(と空間)の概念は赦しの実践において非常にポイントになるところだと思っています。
これを意識することで、いろんなことがとてもシンプルになってきます。
赦し・目覚めにおいては、時空の外の毎瞬毎瞬の今しかないわけで、過去・未来を見ているなら自我(=罪・罪悪感・恐れ)です。
なので、今に戻る、今を認識する。
今を思い出すと、それに付属していろんなことを思い出せます。
そして、今にいないなら彷徨いでていることになります。
これは実践において非常に助けになるものだと思っていますし、実際、そうなっています。
ありがとうございました。
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