夢・自分の考え・分離の想念を信じるなら恐れる
恐れとは何か?
恐れとは、本来実在しないものであるにも関わらず、この世界にいると信じている私たちは恐れによって支配されているともいえます。
恐れとは、罪の意識・罪悪感と同じものであり、自分は個人の肉体だ、と信じているなら誰の中にも必ずあるものだといえます。
なぜなら、自分は肉体だと信じるなら必ず傷つき、戦い、失い、苦しみ、そして死ぬからです。
天災、戦争、病気、災難などで全てを失う恐れや、死に対する恐怖を想像するなら、恐れはいとも簡単に感じられるのではないかと思います。
また、そこまで命を脅かすようなものでなくても、上司に怒られるとか、パトカーを見たらドキッとするとか、少々無駄使いをしてしまった時などでも、罪悪感・恐れを感じているのではないでしょうか?
つまり、恐れはこの世界で生きていると信じているものたちの誰の中にでも元々あるものだと言えます。そして、周りを見渡すなら恐れで溢れています。
なので、私たちが感じる恐れと、元々持っている恐れは同じものだと言えます。
内側にあるものを否忍しているので、投影して外側に見ているという構図です。
恐れを直視する
しかし、この恐れは通常私たちにとって嫌なもの・見たくないものとなっているので、いとも簡単に忘却のベールや魔術で覆い隠し、ないものとして見過ごすことができています。
なぜなら、この恐れを直視して看過されてしまうと自我は都合が悪いからです。
だから、私たちはこの実在してもいない恐れを恐れることで実在のものとして、全ての者達や世界と戦うことになるわけです。
これをしている限り、自我の目的が揺らぐことはなく目覚めることはできません。
なので、私たちはこの恐れを直視して、「これは本当に恐れなんだろうか?」「これは恐れるに値しない、幻想だ」「むしろ、これを望んでいたんだ」と疑問視し、看過し、受け入れていく必要があるということです。
自分は個人の肉体だと信じるということは、その前に必ず自分は神ではなくなった=分離は起こったと信じたということであり、恐れているなら今自我になっているというサインとなります。
なので、私たちはこの恐れを使って真の自己を思い出すことができると言えます。
恐れの無限地獄から抜け出すには?
恐れを実在させて恐れているから夢がリアルに成り立っているわけで、恐れが恐れでなくなったなら、夢が夢だとわかってしまう。。。
これを恐れているというパラドックスの中にいます。
この恐れの無限地獄から抜け出すには?
あなた(自我)が考える方法とは「全く別の見方があるよ」ということをコースは教えてくれています。
学んでいくと、確かにここにしか平安はないなーとわかってきます。
これが、この世界を教室としていく、私たちの学びということですね。
コメント