この愚かしさに、平安あれ!

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この愚かしさに、平安あれ!

これは、ワプニック博士の解説などでもよく聞くフレーズですが、理解が深まってくると、これは本当にすごい言葉だなぁと思います。

まさに、赦しを代弁するフレーズだと言えるのではないでしょうか。

すべてに対してこのように見れるなら、本当に素晴らしいことだと思います。

自我(自分)の愚かしさを見て、裁かず、咎めもせず、変えようとせず、受け入れた上で、それは無・妄想であるとわかったところから、平安で見る。

これが私たちの在る姿であり、これにより何があっても平安で見ることができます。

つまり、これを、コースの学びと赦しの実践を通して学んでいるのだと言えるでしょう。

なぜなら、これにより、自我の分離の想念、裁き、攻撃、死の想念である妄想がいかようにみえたとしても、戦わず、恐れなく、平安という赦しの慈愛の眼差しから見ることができるのです。

常にそうではなのなら、、、

しかし、私たちはまだまだそのようには見えていません。

見えたことがあったとしても、また、そのような平安な時間が増えてきていると実感してきても、常にそうではありません。

それに気づくなら、私たちは学びを続けていきます。

そのために、この世界と肉体と時間が与えられているわけです。

このこと自体に感謝しつつ、私たちはこの今も学ばせてもらっている、ということですね。

参照:ワークブックレッスン190.4:1
このような愚かしさに、平安あれ!

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この記事を書いた人

「ACIMノンデュアリティアカデミー」を運営させていただきながら、ACIM(奇跡のコース/奇跡講座)のコース形而上学をもとに、非二元の内的探求を続けています。

こちらでは、真面目な話からゆる〜い話まで、自由に書いていきたいと思います。

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