Q&A:愛とは何ですか?また、私たちは愛を知らないとはどういうことですか?

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私たちは愛を知らない

コースでいう「愛を知らない」とは、「私たちは愛を知っている」(=自我)の訂正にあたります。

決して、馬鹿にしたり、侮辱したり、大切なものを取り上げたり、踏み躙ったりするようなものではないはずです。(でも自我はよくそう思う)

コースでも、真理でも、愛(神)とは、私たちには決して分かり得ないものだと教えているからです。

それなのに、私たちはいまだに「これも愛、あれも愛、多分愛、きっと愛♪」と、自分で思い描いた愛を外側に見て、自分は愛を知っているとして、(真の)愛と戦い続けています。

「これが間違いだよ」と聖霊・イエス・コースは教えてくれているのです。

なので、私たちはコースを学んでこれを”自覚”し、自分は「愛を知らない」と受け入れることが救済だと学んでいるのだと言えます。

これにより、すでに与えられている愛の恩恵・恩寵を受け取ることができ、同時に、愛(神)に対する恐れが癒やされ、本来の自己のアイデンティティーを思い出していけるからです。

私は愛を知っている

しかし、この世界で生きていると信じている私たちは、愛を大義名分として、もはや、生きる支えとして捉えています。

そもそも、私たちの思い描く愛や喜びが、私たちの生きる原動力となっています。

そうして私も生きてきましたし、今もまだ、この世界の喜び(快楽)を握りしめています。

なので、これが嘘だ、無だ、と言われたら、私たちはもはや生きる力を失うと言ってもよいでしょう。

これを恐れています。もはや完全なる絶望と言えるからです。

しかし、自我はこの絶望を見ないために(隠すために)、この世界という幻想を作り出しました。

つまり、この絶望は、この世界の愛を失うことによる絶望ではなく、神の子が分離の想念を信じたことによる原初の瞬間の「愛(天国・ワンネス)を失った!」というトラウマの絶望だからです。

それにより、私たちはそれを埋めるべく、この世界で代替の愛を作り出した。

これが、私たちの隠されたこの世界での愛のストーリーです。

この形而上学の理解(知的理解&体験的理解)なくして、「私たちは愛を知らない」とか「この世界の愛はない」と言われても、受け入れることは無理だと言えるでしょう。

とはいえ、私もこの世界の愛を信じているので、何回も絶望と涙に明け暮れてきました。

しかし、よく見るなら、この世界の愛とは憎悪と紙一重で、どんなに愛し合っている者たちでも、何かの拍子であっという間に、疑念と裏切りと憎悪に変わり得るものです。

また、本来なら愛し合い、助けあう間柄の親子や兄弟、夫婦でさえも恨みあっているものはたくさんいます。

なぜなら、心の自分が父を裏切り、憎んでいると信じているからです。

真の愛を求める選択=偽物の愛を求めることをやめるという選択

しかし、コースは、この偽物の愛という絶望の変わりに、私たちにはすでに真の愛が与えられていると教えてくれています。

それを拒絶しているだけなので、それをやめればいいということです。

私たちは真の愛はわからないけど、愛を見えなくしている障壁ならば、見ればわかります。

なので、私たちは偽りの愛を見つけ出し、これは愛ではなかったと学んでいくことで、偽りの愛を手放し、真の愛を思い出していくことができます。

そして、コースは、それは単に”あなたの選択”だと言っています。

あなたは、この世界の愛だと信じている偽りの想念と、愛の想念の”どちらかを選択することができる者”(=決断の主体)だと教えてくれています。

しかし、偽りの愛と真の愛、その両方を持つことはできません。どちらか一方を選択することができるだけです。

つまり、真の愛を受け取るには、偽物の愛を手放すことです。

この単純な選択が、今の私たちにとって決して簡単ではない状態になっているということです。

愛の恩寵を受け取る

しかし、愛とは私たちには決して分かり得ないものではありながら、それでも私たちにもわかるように、この幻想の中で、私たちに合わせて翻訳されて、それを受け取ることもできる(知覚できる)し、常に与えられているものであると言えます。

でもそれは、私たち(自我)が今まで思い描いてきた愛とは全くの別物であり、私たち(自我)にとっては異質で、似ても似つかないものなので、”受け入れ難いものとなってしまっている”(=拒絶している)ということを、自覚して明け渡していくことが、すでに与えられいる愛の恩寵を受け取ること(=幸せ)になるのだと思います。

そして、これらはコースの特徴である一元論のスピリチュアリティと心理学を用いた「幻想の中でどのように生きるか」の教えと手段(赦し)ですが、コースはそもそも一元論ベースの教えなので、つまるところ、「愛は実在であり、私たちの思い描いているこの世界での愛とは、単に幻想にすぎない」という絶対的な真理に基づいたものであることを忘れてはならないでしょう。

実在するものは脅かされない

実在しないものは存在しない

ここに神の平安がある

ありがとうございます。

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この記事を書いた人

「ACIMノンデュアリティアカデミー」を運営させていただきながら、ACIM(奇跡のコース/奇跡講座)のコース形而上学をもとに、非二元の内的探求を続けています。

こちらでは、真面目な話からゆる〜い話まで、自由に書いていきたいと思います。

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