禅の教えである十牛図を見ると、真理を探し求めて何かと出会い、その学び初めから、覚醒・悟り・統合、そしてまたこの世界へと戻ってくる、という目覚めのプロセスが描かれており、とても興味深く感じます。
このプロセスは、禅宗だけでなく、コース(ACIM、奇跡のコース、奇跡講座)やアカデミーでの学びでも同じと言えます。
つまり、目覚めの道は何を学ぶか、どの道を歩むかにかかわらず、共通していると言えるのではないでしょうか。
コースの教えと十牛図
十牛図の牛は、主に悟りの象徴と言われていますが、コース形而上学から見ると、悟りであると同時に、自我の象徴だといえます。
一般的な解釈では、真理・悟りである牛を求めて探し、見つけ、悟りを乗りこなし、真理との一体化を目指します。
しかし、コースは一元論の教えをもとに書かれていますが、心理学をベースとしているので、歩んでいく方向が多くの教えとは異なっています。
多くの教えは、ダイレクトに光を求め、聖性を求め、平安を求め、真理を求め、それになろう、それに近づこうとしていきますが、コースの教えはそちらではなく、「そうではない方」を見ていきます。
つまり、無意識に隠されている闇、罪悪感・恐れ、虚偽=自我を、明らかにして見ていきます。
そして、この、見ているものは全て幻想であると平安から見ている自己が、真の自己を思い出しているということになります。
コースの実践と十牛図
私たちはコース形而上学と赦しという手段を使って、まずはこの十牛図の牛である自我を見つけ出し、手懐けていきます。
コースの学びと実践の中で、自我の力動を学び、自我を知り、自我を受け入れ、自我を愛していきます。
自我は何をしているのか、その目的は何か、をマスターしていくことにより、自我のトリックを超えていくことができるのです。
そうしていくことで、牛を手懐け、乗りこなし、やがて牛が統合され認識できなくなり、やがてこの自分が消える。
これが、目覚め、空の状態で、私たちはこれをゴールだと思ってきましたが、十牛図を見るとまだ先がある、ここがゴールではないということがわかってきます。
コースでは、このための手段が赦しであり、これを奇跡と呼んで、贖罪を受け入れ、私たちは聖霊そのものとなり、またこの世界へと帰ってきます。
これが実相世界を生きている状態だと言えます。
そして、ここが、十牛図の最後の図であり、私たちは正気(聖霊)を携えながら、自分は誰なのかを思い出した状態で、この夢を目覚めから生きるということです。
そして、最終的には、この十牛図という目覚めのプロセス自体も、幻想の中のものだということになります。
※これは、コースをもとに学んできた私なりの解釈であり、単なる一つの見解です。
目覚めのプロセスを知ること
この目覚めプロセス、学びのプロセスが、コースや十牛図にははっきりと描かれており、大まかな流れを知ることは、学びの途中にいる私たちにとってとても参考になるし、励みになります。
自分は今どの段階なのだろう?と、見えない道を計り知るための目印となるからです。
なので、アカデミーでもこの十牛図を学べないかなーと思い、もりGさんにリクエストしてみました。
ということで、「コースの教えから見た十牛図」として、多分今年の年末あたりに何らかの形で開催される予定でおりますので、決まったらまたお知らせさせていただきます。
以前、「コースの教えから見た般若心経」も好評でしたし。
興味のある方は、どうぞお楽しみに〜♪
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