ディズニーランドに来ているのに、ミッキーに会わずに帰るの?

ディズニーランドに来ているのに、ミッキーに会わずに帰るの?~夢は願望の充足手段

私たちの夢見の根本原因は、夢を見続けたいという大元の(神の子の心の決断の主体)願望と力動によって夢を見続けているわけで、その願望の力動と戦わないことが大切です。

なぜなら、夢は願望の充足手段であり、そのために夢を見続けているからです。そして願望は叶うものだからです。

なので、それに抗わず、それを咎めずに見て受け入れることにより、その願望力動が徐々に弱まり、取り消されていくことになるのです。

それが、分離という”心”(コースでいうところの心)の病気であり、赦しという手段によって、奇跡(訂正)がなされ、その心が癒されることにより、全一性を思い出していけるのです。

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ディズニーランドに行きたくて来ているのに、楽しまずに帰りますか?

ディズニーランドを楽しみにしていた子供(自我)が、せっかくきたにもかかわらず、何もせず、親の都合で素直に帰るでしょうか?

せっかく来たのだから、ミッキーにも会って、乗り物にも乗って、ポップコーンも食べて、満喫してから帰りたいですよね?

それに無理やり抗うなら、子供は泣き暴れ大変なことになるでしょう。

しかし、ある程度満足して遊び疲れたなら、子供は笑顔で素直に帰ります。

そして、それが楽しいうちは何度もやってきて楽しむかもしれませんが、それを繰り返していくうちに、時がたち、やがて大人になるにつれて、その願望は薄れていくことでしょう。

そうやって、無理のない自然な形で手放して行けるのが、このコースの導くところなのですが、私たちは早く目覚めたい一心で、このプロセスを避けようとしてしまいます。

私たちは真理や目覚めという概念を使って、自らの願望に抗っていたりする。

私たちは真理や目覚めという霊性の概念を使って、この隠された願望を無視して、ダイレクトに目覚めを求めてしまいます。

もちろん、光の方向に向き、その恩寵をダイレクトに受け取ることも大切なのですが、正義や光、真理という名目を盾にして、深いところに隠してしまった無意識の願望と、その自己との戦いを温存することにもなりえます。


コース形而上学を用いた比喩

私たちは、真理の探究者であるがゆえに、ディズニーランド(=この夢の世界)に来たくて来ていることを忘れて、「こんなところで何をしているんだ!遊んでいる場合ではない、早く目覚めて帰らなければ!」とやっていることがあります。(私もずっとそうでした。)

これが、コースを学んでいながらも、間接的ではなく、他のスピリチュアリティと同じように、ダイレクトに帰ろうとしていることなのだとは、なかなか気づけないのです。

これは、この世界の夢や、私たちのゴールである実相世界を否定して、それ以上のものがあるとして、求めよう・探そうとしています。

これは、真理を盾にしたとても大きな自我のトリックだといえます。

しかし、これらのすべてが幻想なのだとわかっているなら、何も起こっていないとわかっているなら、どうするでしょう?

これらすべてが幻想なのだとわかっているなら、どうするでしょう?

それは、ディズニーランド(夢の国)を楽しむことも、なんの問題もないということがわかるでしょう。

これは、神の子の心の願望実現の夢を体験することを否定しないということです。

そして、これは完璧な目覚めのプロセスにおける教室なのだと理解し、教材として淡々と赦しの実践に使っていくことをしていきます。

しかし、私たちは今、

・ディズニーランドが何なのか=幻想世界  や、

・夢の国に来ている目的をよくわかっていない=自分は本当は何者で、自分で来たくてきていることを自分で忘れた。そしてそれを思い出せないようにしている。

ので、かわいいミッキーが悪魔に、解放的なビックサンダーマウンテンは暴走列車に、楽しいタワーオブテイラーは地獄行きの乗り物に見えるので、恐怖に慄き、楽しめなくなってしまっているのです。

これが分離の想念を信じた結果であり、これが病気であり、狂気なんだということです。

なので、この間違った見方・知覚を訂正していくなら、ディズニーランドとはどういうもので、ここに来た目的も分かった上で、夢の国だとわかりながらも、楽しめるはずなのではないでしょうか。

そして、コースで示す”赦し”は、この間違った解釈・知覚を訂正し、真実を思い出し、真理の反映を知覚することで、自分とは何者なのかを思い出していくことができる助けとなるものなのです。

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この記事を書いた人

「ACIMノンデュアリティアカデミー」を運営させていただきながら、ACIM(奇跡のコース/奇跡講座)のコース形而上学をもとに、非二元の内的探求を続けています。

こちらでは、真面目な話からゆる〜い話まで、自由に書いていきたいと思います。

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