ただ、確信だけがある。

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ただ確信だけがある。

何もないけど、何かがある。

何の理由もなくて、何の意味もなくて、

何もないのだけど、何かがある。

ないけど、あるんだ。

言葉にもできないし、目にも見えないし、

確証もないし、証明もできないけど、

心のどこかに確かにある。

ただそれだけなんだ。

それを思うと懐かしいんだ。

それを思うと懐かしいんだ。

それを思うと涙が出るんだ。

それを思うとありがたくなるんだ。

それを思うと心が響いて癒されるんだ。

すべてにおいて間違いはなくて、すべてが完璧で、

失ったものなど何一つなくて、すべてがここにあることが、

どこかでわかるんだ。

それは感謝で満ち溢れ、喜びのエネルギーとなり、

過去から未来を今に現し、すべてをここに集約して、一瞬の無限の中へと溢れ出る。

と、同時に一点の内へと消え去る。

これだけを頼りにする。

この強いも弱いもない、ただの確信。

でも一つも揺らぐことのない、意味のない確信。

これだけを頼りにするなら、

夢もうつつも、記憶も予測も、だんだん区別がなくなってくるような。。。

どれも、今起こっている夢の記憶。

すると、

何も失っていないし、誰も去ってはいない。

すべてが今ここにあって、すべての愛に包まれていただけだったとわかる。

その夢の一つ一つ、言葉の一つ一つ、行為の一つ一つ、体験の一つ一つ、

どれもこれもが、優しい愛の一側面の現れだったのだとわかる。

なんで失ったと思ったんだろう?

なんで失ったと思ったんだろう?

なんで死んだと思ったんだろう?

自我の教え、この世界の当たり前を信じているからだ。

この教えを信じなければ? どうなる?

失ってなどいない、死んでもいない。

得たこともないし、生まれたこともない。

このことがわかっちゃうと、ゲームが成立しなくなってしまうんだ。

すると同時に、ハラハラドキドキや、苦しみや恐れもなくなって、夢に意味がなくなってしまうんだ。

自我にとってはゲームの中での成功こそが幸せだと思っている。

本当の幸せは、「それが無意味だとわかること」だと言っているのだから、やっぱ幸せになっちゃ困るんだよね。

今までの、魔法の力と信念の努力が全部、水の泡だからね。

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この記事を書いた人

「ACIMノンデュアリティアカデミー」を運営させていただきながら、ACIM(奇跡のコース/奇跡講座)のコース形而上学をもとに、非二元の内的探求を続けています。

こちらでは、真面目な話からゆる〜い話まで、自由に書いていきたいと思います。

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